2011年02月03日

平成23年版 奉納太鼓



今年も奉納太鼓を奉納させて頂きました。
今回はちゃんと作曲して曲に仕立ててあります。昨年の奉納太鼓の発展型です。
テーマは「九字」。九字とは「臨兵闘者皆陣列在前」の九字と阿弥陀真言「オンアミリタテイゼイカラウン」の九字(梵字で九字)を掛けています。「臨兵闘者...」は簡単に言えば悪魔退散。阿弥陀は極楽浄土の仏。

亡くなった師(父)が護摩の時に早九字を切ることがありました。この太鼓曲は亡き父からインスピレーションを得たもので、それゆえ、途中、5:26 のところで、初めて太鼓を父から教わった時の打ち方をやっております。

自分なりのトリビュートです。
posted by sjoe at 00:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 東谷寺

2011年02月02日

阿吽の音

久しぶりのブログ更新です。
訳あってブログの更新も止まってしまっていました。
で、事後報告ですが、聲明公演のご報告など。
これまた久しぶりに東京青山スパイラルにて鳥養潮さんの「阿吽の音(あうんのこえ)」の公演に出演しました。
くわしくはこちら。
http://www.kaibunsha.net/archives/201101aun.html

で、お客様に謝りたいことが一つ。1月26日の公演中に転んだのは私です。
転んだだけでなく、履いていた左の下駄が脱げて客席に飛んでいきました。
私の目が確かならば、その下駄めはお客様の右肩か首のあたりに激突。
結構、痛かったんじゃないでしょうか。
申し訳ありません。この場を借りて謝罪いたします。
万が一このブログを見るようなことがあればよいのですが。

さて、内容について。
今回の「阿吽の音」は今までのソロを唱えていた4人の先生方が皆ご遠慮されて、もっと若い世代(といっても40歳前後)の僧侶にソロを任せたもの。
ですので、内容はいままでと同じですが、実はメンツが少し代わっているのです。
時が経てば当然人も代わっていきます。それでも作品自体は変わってはいませんでした。悠久の時をゆったりと流れる川のように。そのようにして聲明は代々受け継がれていくのです。
「阿吽の音」は1995年の国立劇場での初演から再演回数も10回程になり、新作聲明の中の古典のような作品です。
 この作品を演っていると、弘法大師の次の言葉を連想してしまいます。

生まれ生まれ生まれ生まれて 生の始めに暗く
死に死に死に死んで 死の終わりに冥し

『秘蔵宝鑰』の一節です。
何度も何度も生と死を繰り返し、それでも人は生の始まりと死の終わりを知ることはできない。命は遠い過去から未来まで何度も何度も生まれては死んでいくけれど、その秘密をうかがい知ることができない。それでもそのようにして命は続いていく。

「阿(あ)」は始まりの音。「吽(うん)」は終わりの音。
何度も何度も「阿」「吽」を繰り返すこの作品は、過去現在未来にわたって繰り返される生命のよう。そして突然降りそそぐ光。そのなかで人は自分の生命を懸命に生き抜き、光明真言という生命の讃歌を一文字一文字杭で打ち付ける。そして大日如来の癒しのしらべ。そしてまた「阿」「吽」の声。命は繰り返される。

見たことない人にとってはなにやらさっぱり解らないと思いますが、そんな作品です。

作品に興味がある方は、こちらをどうぞ。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/3642594

ちなみに私が転んじまったのは、上の説明中、「光明真言という生命の讃歌を杭で打ち付ける」のところです。「やー」と叫びながら、転んでるし。しかも尻餅ついてるし。うへえ。
posted by sjoe at 23:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 声明公演