2007年07月02日

声明のCD

 私が所属する迦陵頻伽聲明研究会が関わるCDもちらほらあります。発売はもう何年も前なんですが、そういえば紹介したことがなかったなあ、と思いまして。今では amazon.co.jp でも買えるようになったみたいですね。
 例えばこれ。
 阿吽の音(こえ)
aun.jpg 鳥養潮さんによる新作声明です。劇場での公演も何度かありました。レコーディングはビクタースタジオでした。朝から晩まで声明を唱えっぱなしだったのを覚えています。
 今まで多くの作曲家さんたちが「新作声明」と呼ばれるジャンルの曲を作り、我々はそれを劇場で唱えてきました。おそらくこれからもまた新たに曲は作られていくのでしょう。声明とはいえども雅楽や洋楽の楽器などを伴うものが多く、正直言うと違和感を覚えざるを得ません。
 しかし鳥養潮さんの作品は、一線を画すものがあります。まず第一に彼女の作品は声明演唱家(つまりお坊さん)による伝統的な仏教楽器以外は使いません。楽器といっても比較的単純な打楽器だけですから、音律をかもし出すのは僧侶による声のみということになります。しかも彼女は我々の唱える声明というものを音楽的に理解していて、我々の伝統をふまえた上での「新作」を作ってくれます。だから彼女の作品は我々僧侶にも唱えやすい。唱えやすいので、ただ譜面をなぞる以上の心を伴う演唱が可能となる。そんな気がします。
 ただ、潮さん、楽器じゃないものを楽器として使ったりします。それが「下駄」。劇場やスタジオに10メートルほどの板を引き、その上を「おーーーーーーん」とか「あーーーーーー」とか叫びながら僧侶に下駄を履かせて走らせる。しかもただ走るんじゃなくて、板をガタンガタンと言わせながら、時には早く時にはゆっくりと走る。それを15名ほどの僧侶が次々と綺麗な法衣をまとって走る、というのだから、はっきり言ってみっともない格好になる。こんなの、普通ではあり得ない。
 しかし、この叫び声はただ単に母音とかではなく、実は「光明真言」なのです。僧侶全員の声をつなげるとそれが「光明真言」になる訳です。これはいわば声による光明真言曼荼羅。だから私も走りました。この際みっともないとか言ってられません。いかにそこに曼荼羅を出現させるか。それを念頭に置いて走りました。
 
 発売が1999年ですから、そんなことももう既に遠い想い出になりつつありますが、この作品は伝統の声明をしっかりと踏まえた新たな声明と言えるでしょう。また、散華や対揚などの伝統声明もしっかりと収録されていて、しかも違和感がありません。伝統と新作の融合作品ともいえます。

posted by sjoe at 16:18| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
こんにちは、2回目のコメントになります。CDの紹介ありがとうございました。声明のCDが欲しかったのですが、声明については右も左もわからないひよっこですので、どれが良いのやらさっぱりわからなくて困っていました。早速取り寄せてみます。また教えてくださいね。これからもよろしくお願いします。
Posted by emichi at 2007年07月04日 10:56
こんばんは。
迦陵頻伽聲明研究会+七聲会+鳥養潮さんの声明作品はもう一枚、CDが出ています。
それが「存亡の秋」。これはamazonでは買えないようですが、近いうちにレポートします。
それでは。
Posted by sjoe at 2007年07月04日 23:43
こんばんは。CDの件、お世話になります。
個人的にamazonを利用したことがないので、セブンアンドワイで検索してみたところ「阿吽の音」「存亡の秋」ともに購入可能でした。
こちらで取り寄せてみることにします。
どうもありがとうございました。

Posted by emichi at 2007年07月06日 00:06
ホントだ!
そちらでも購入可能ですね。
情報ありがとうございます。
Posted by sjoe at 2007年07月06日 11:30
たびたびお邪魔します。
お陰様でCD、手に入れる事ができました。
ありきたりな言葉でしか言い表せないのですが
魂が揺さぶられたような、
心の垢を洗い流してもらえたような、
そんな感動がありました。
素晴らしい声明との出会いを頂けたこと
深く感謝しています。
ありがとうございました。
Posted by emichi at 2007年07月19日 20:41
 そんな風におっしゃっていただくと、くすぐったい感じもしますが、大変ありがたく思います。
このサイトを開いていた甲斐があるというものです。

 声明の歴史を見ていく時、その中には恐らく本当に魂のようなものがあるんだと思う時があります。
 声明の起源はもちろんインド仏教にありますが、声明は実にたくさんの人々によって、国を超え民族を越え、この現代の日本に伝えられてきたわけです。もちろんその間に少しずつ変化しているわけですが、その変化こそが、声明が生きている証です。そして、変化が起こる度に、声明の中に魂がすり込まれていっているような気がしてなりません。
 ですから、現代の我々が声明を唱えるとき、それはけして自分たちだけの声ではない。声明を伝えてきた先人達の魂も宿っている。いわばこれは人類の魂の集合体の一表現形態。だからこそ、声明は現代の人々の魂に共鳴するのだ。そしてその魂こそが仏である。そのように思います。

 また私は、入門したての十八、九歳ぐらいの僧侶がはじめて声明というものに触れ、たちまち虜になっていくのを何度も見ています。もちろん、かつての私もその中の一人でした。
 現代のポップな商業音楽に慣れ親しんだ多くの人々にとって、声明とは「ええ?お経でしょー?辛気くさーい」ぐらいなものかも知れません。また、その認知度はかなり低いと思います。
 しかし、今でも、十八、九歳ぐらいの若者が声明を唱えるということに夢中になる、という事実から見ても、人がなんの障壁もない純粋な心の耳で声明を聞くことがあれば、きっと心が揺さぶられるに違いない。そして共鳴するに違いない。
 なぜならそれは、すべての人間の心に根本的に宿っている仏の声であるから。そのように思います。

 ですから、声明というもの、仏教というものに触れることができる環境に恵まれたこと、そしてそれを伝えてきて下さった先人達に感謝してやみません。
Posted by sjoe at 2007年07月21日 00:38
emichi さま。
お手紙届きました。
突然の手紙で驚きましたが、心の内面を表した中にもユーモアあふれる文面に、心が温まりました。
今後ともよろしくお願いします。
Posted by sjoe at 2007年07月30日 23:24
このたびはsjoe様のやさしさをたくさん
頂戴致しました。感謝です。

手紙のことはもう忘れてくださいね。
恥ずかしいので…(^^;)

暑い毎日が続きそうです。
お体にはご自愛下さい。
Posted by emichi at 2007年08月03日 15:35
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