佛心道遊塾とは、東谷寺で行っている写経・写仏・相馬霊場巡りなどで、仏教に親しむ会です。塾なんて名前ですが難しいことはなく、和気藹々と行っております。時には真剣に、時には楽しく。だから「仏道に遊ぶ塾」です。
次回、次々回の予定は次の通りです。
1月25日14:00 写経
3月6日 14:00 写仏
参加ご希望の方は、
こちらのフォームから前もってお申し込み下さい。
2013年01月05日
2011年03月13日
がんばれ、日本。がんばれ、東北。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110313/erp11031320400011-n1.htm
の記事ですが、
#13日付の英紙インディペンデント・オン・サンデーは1面トップで
# 日の丸の赤い円の中に「がんばれ、日本。がんばれ、東北。」と
# 日本語で大見出しを掲げ、東日本大震災の被災地に応援メッセージを送った。
ただただ、感動しました。
英国の新聞がここまでの記事をだすとは。
2007年07月02日
声明のCD
私が所属する迦陵頻伽聲明研究会が関わるCDもちらほらあります。発売はもう何年も前なんですが、そういえば紹介したことがなかったなあ、と思いまして。今では amazon.co.jp でも買えるようになったみたいですね。
例えばこれ。
阿吽の音(こえ)
鳥養潮さんによる新作声明です。劇場での公演も何度かありました。レコーディングはビクタースタジオでした。朝から晩まで声明を唱えっぱなしだったのを覚えています。
今まで多くの作曲家さんたちが「新作声明」と呼ばれるジャンルの曲を作り、我々はそれを劇場で唱えてきました。おそらくこれからもまた新たに曲は作られていくのでしょう。声明とはいえども雅楽や洋楽の楽器などを伴うものが多く、正直言うと違和感を覚えざるを得ません。
しかし鳥養潮さんの作品は、一線を画すものがあります。まず第一に彼女の作品は声明演唱家(つまりお坊さん)による伝統的な仏教楽器以外は使いません。楽器といっても比較的単純な打楽器だけですから、音律をかもし出すのは僧侶による声のみということになります。しかも彼女は我々の唱える声明というものを音楽的に理解していて、我々の伝統をふまえた上での「新作」を作ってくれます。だから彼女の作品は我々僧侶にも唱えやすい。唱えやすいので、ただ譜面をなぞる以上の心を伴う演唱が可能となる。そんな気がします。
ただ、潮さん、楽器じゃないものを楽器として使ったりします。それが「下駄」。劇場やスタジオに10メートルほどの板を引き、その上を「おーーーーーーん」とか「あーーーーーー」とか叫びながら僧侶に下駄を履かせて走らせる。しかもただ走るんじゃなくて、板をガタンガタンと言わせながら、時には早く時にはゆっくりと走る。それを15名ほどの僧侶が次々と綺麗な法衣をまとって走る、というのだから、はっきり言ってみっともない格好になる。こんなの、普通ではあり得ない。
しかし、この叫び声はただ単に母音とかではなく、実は「光明真言」なのです。僧侶全員の声をつなげるとそれが「光明真言」になる訳です。これはいわば声による光明真言曼荼羅。だから私も走りました。この際みっともないとか言ってられません。いかにそこに曼荼羅を出現させるか。それを念頭に置いて走りました。
発売が1999年ですから、そんなことももう既に遠い想い出になりつつありますが、この作品は伝統の声明をしっかりと踏まえた新たな声明と言えるでしょう。また、散華や対揚などの伝統声明もしっかりと収録されていて、しかも違和感がありません。伝統と新作の融合作品ともいえます。
例えばこれ。
阿吽の音(こえ)

今まで多くの作曲家さんたちが「新作声明」と呼ばれるジャンルの曲を作り、我々はそれを劇場で唱えてきました。おそらくこれからもまた新たに曲は作られていくのでしょう。声明とはいえども雅楽や洋楽の楽器などを伴うものが多く、正直言うと違和感を覚えざるを得ません。
しかし鳥養潮さんの作品は、一線を画すものがあります。まず第一に彼女の作品は声明演唱家(つまりお坊さん)による伝統的な仏教楽器以外は使いません。楽器といっても比較的単純な打楽器だけですから、音律をかもし出すのは僧侶による声のみということになります。しかも彼女は我々の唱える声明というものを音楽的に理解していて、我々の伝統をふまえた上での「新作」を作ってくれます。だから彼女の作品は我々僧侶にも唱えやすい。唱えやすいので、ただ譜面をなぞる以上の心を伴う演唱が可能となる。そんな気がします。
ただ、潮さん、楽器じゃないものを楽器として使ったりします。それが「下駄」。劇場やスタジオに10メートルほどの板を引き、その上を「おーーーーーーん」とか「あーーーーーー」とか叫びながら僧侶に下駄を履かせて走らせる。しかもただ走るんじゃなくて、板をガタンガタンと言わせながら、時には早く時にはゆっくりと走る。それを15名ほどの僧侶が次々と綺麗な法衣をまとって走る、というのだから、はっきり言ってみっともない格好になる。こんなの、普通ではあり得ない。
しかし、この叫び声はただ単に母音とかではなく、実は「光明真言」なのです。僧侶全員の声をつなげるとそれが「光明真言」になる訳です。これはいわば声による光明真言曼荼羅。だから私も走りました。この際みっともないとか言ってられません。いかにそこに曼荼羅を出現させるか。それを念頭に置いて走りました。
発売が1999年ですから、そんなことももう既に遠い想い出になりつつありますが、この作品は伝統の声明をしっかりと踏まえた新たな声明と言えるでしょう。また、散華や対揚などの伝統声明もしっかりと収録されていて、しかも違和感がありません。伝統と新作の融合作品ともいえます。
2006年05月28日
天台の対揚の十二音博士
天台の「対揚」という曲の十二音博士を作ってみました。
だいたいこんな感じです。

十二音博士というのは、『豊山聲明大成』という本の中で使用している博士(聲明の音符)です。従来の五音博士の仕組みを踏襲しながら、1オクターブを構成する12音のすべてを表現できるように改良したものです。
ただ、基本的に真言声明の方法論ですから、これを天台声明に当てはめるというのは、愚行ともいうべきかもしれません。
しかし、我々真言宗豊山派の僧侶にとって、天台の博士は謎だらけです。十二音博士なら、おそらくみんな楽に唱えられるだろうなあ。
ということで作ってみました。ま、あくまでも真言のお坊さん用ってことです。これを天台のお坊さんにまで押しつけようとはさらさら思っていませんから。
だいたいこんな感じです。

十二音博士というのは、『豊山聲明大成』という本の中で使用している博士(聲明の音符)です。従来の五音博士の仕組みを踏襲しながら、1オクターブを構成する12音のすべてを表現できるように改良したものです。
ただ、基本的に真言声明の方法論ですから、これを天台声明に当てはめるというのは、愚行ともいうべきかもしれません。
しかし、我々真言宗豊山派の僧侶にとって、天台の博士は謎だらけです。十二音博士なら、おそらくみんな楽に唱えられるだろうなあ。
ということで作ってみました。ま、あくまでも真言のお坊さん用ってことです。これを天台のお坊さんにまで押しつけようとはさらさら思っていませんから。
天台声明と真言声明の違い。
違い、っていっても、聞いた雰囲気はまったく異なるので、聞けば一目瞭然なんですけどね。
両者の雰囲気が異なる原因の一つとして次のことがいえます。
天台声明は、主音を宮(宮商角徴羽の宮)とするものが多く、
真言声明は、主音を商とするのものが多い。
まあ、音楽理論の話をするとややこしいのですが、わかりやすくいうと、
この場合の宮・商・角・徴・羽とは、洋楽でいうところの、ちょうど「ドレファソラ」にあたると思ってください。この音階を、律音階といいます。
天台声明は、この音階を使って、ドで落ち着くようになっているけれど、
真言声明は、レで落ち着くようになっている、ということです。
いや、本当は、使用している音階が異なるというべきです。実際の真言声明は「レファソラド」という音階を使用しているのです。
ところが声明の理論の中には、「レファソラド」に相当する音階はありません。だから、真言声明でも「ドレファソラ」の音階を使用していると仮定して譜面が作られている。
でも実際の曲は、「レ」で安定するようになっているので、その辺が話をややこしくする原因の一つになっています。
前回の日記で書いた「惣禮伽陀」は五線譜をみて歌ってみる限り、「ファソラドレ」という音階を使用しているように聞こえます。この音階は声明理論の中では「呂音階」に相当します。
それで、あまり聞き慣れない声明に聞こえるんだなあ、と一人納得していましたが、復曲された方に話を聞いたところによると、この音階を使っているわけではなく、「レファソラド」の音階を使っているそうです。
いやしかし、歌ってみると「ファ」で安定しているんだよなあ....
たしかに、「レ」でも安定していますが、ちょっと微妙。
やはり「ファ」が主音に聞こえるんですね。
真言声明はけして「ファ」で安定しているようには聞こえませんから、音階が違うと思った方がよいと思う。
両者の雰囲気が異なる原因の一つとして次のことがいえます。
天台声明は、主音を宮(宮商角徴羽の宮)とするものが多く、
真言声明は、主音を商とするのものが多い。
まあ、音楽理論の話をするとややこしいのですが、わかりやすくいうと、
この場合の宮・商・角・徴・羽とは、洋楽でいうところの、ちょうど「ドレファソラ」にあたると思ってください。この音階を、律音階といいます。
天台声明は、この音階を使って、ドで落ち着くようになっているけれど、
真言声明は、レで落ち着くようになっている、ということです。
いや、本当は、使用している音階が異なるというべきです。実際の真言声明は「レファソラド」という音階を使用しているのです。
ところが声明の理論の中には、「レファソラド」に相当する音階はありません。だから、真言声明でも「ドレファソラ」の音階を使用していると仮定して譜面が作られている。
でも実際の曲は、「レ」で安定するようになっているので、その辺が話をややこしくする原因の一つになっています。
前回の日記で書いた「惣禮伽陀」は五線譜をみて歌ってみる限り、「ファソラドレ」という音階を使用しているように聞こえます。この音階は声明理論の中では「呂音階」に相当します。
それで、あまり聞き慣れない声明に聞こえるんだなあ、と一人納得していましたが、復曲された方に話を聞いたところによると、この音階を使っているわけではなく、「レファソラド」の音階を使っているそうです。
いやしかし、歌ってみると「ファ」で安定しているんだよなあ....
たしかに、「レ」でも安定していますが、ちょっと微妙。
やはり「ファ」が主音に聞こえるんですね。
真言声明はけして「ファ」で安定しているようには聞こえませんから、音階が違うと思った方がよいと思う。
2006年05月26日
妙音院流の惣禮伽陀
今度国立劇場で演唱される、復曲された惣禮伽陀(そうらいかだ)の譜が届きました。
五線譜で書いてあります。
唱えてみると、真言声明とも天台声明とも違う、
なんとも不思議な曲が出てきました。
なんというか、中国っぽい、っていうか。
基本的に五音しか使っておりませんが、根本的に音階が違うので、
同じ五音による曲でも、雰囲気がまったく違う曲になるんですねえ。
いや、おもしろいです。
興味のある方は、是非聞きに来てください。
五線譜で書いてあります。
唱えてみると、真言声明とも天台声明とも違う、
なんとも不思議な曲が出てきました。
なんというか、中国っぽい、っていうか。
基本的に五音しか使っておりませんが、根本的に音階が違うので、
同じ五音による曲でも、雰囲気がまったく違う曲になるんですねえ。
いや、おもしろいです。
興味のある方は、是非聞きに来てください。
2006年05月20日
声明公演
今のところの出演予定のある声明公演は次の通り。
2006/9/16 14:00 国立劇場「舞楽法会」
天台声明の七聲会さんと浄土宗の増上寺式師会さん、そしてわが真言宗豊山派の迦陵頻伽聲明研究会さん、総勢30名の共演です。
国立劇場で他宗との共演は初めてです。
演目も、天台・真言混合の「二箇法用付舞楽・十種供養」です。
妙音院流(天台系)の「惣禮伽陀」の復曲もあるそうです。
ん? 舞楽? ってことは舞もあるのか?
劇場で声明を唱えるときは、新しい曲や他宗の曲をやることが多いので、ちょっと苦労するんですよね。勉強にはなりますが。
そうだ。天台さんの「対揚」の新仮博士作ろうかな。
2006/9/16 14:00 国立劇場「舞楽法会」
天台声明の七聲会さんと浄土宗の増上寺式師会さん、そしてわが真言宗豊山派の迦陵頻伽聲明研究会さん、総勢30名の共演です。
国立劇場で他宗との共演は初めてです。
演目も、天台・真言混合の「二箇法用付舞楽・十種供養」です。
妙音院流(天台系)の「惣禮伽陀」の復曲もあるそうです。
ん? 舞楽? ってことは舞もあるのか?
劇場で声明を唱えるときは、新しい曲や他宗の曲をやることが多いので、ちょっと苦労するんですよね。勉強にはなりますが。
そうだ。天台さんの「対揚」の新仮博士作ろうかな。
2006年05月18日
豊山聲明大成
http://www.eastvalley.or.jp/cdproject.html で紹介しているCDプロジェクトですが、正式名称が、
豊山聲明大成 (教則本1冊)
孤嶋由昌聲明集 (CD10枚組)
ということになりました。
実は既に完成し、この2月15日にめでたく配布が始まりました。
1000部限定で作成したのですが、DMによる販売で、ほぼ売り切れ状態です。
そういうわけで、ネット経由での注文体制も整わず、あまり広くは公開できませんが、とりあえずご報告しておきます。
豊山聲明大成 (教則本1冊)
孤嶋由昌聲明集 (CD10枚組)
ということになりました。
実は既に完成し、この2月15日にめでたく配布が始まりました。
1000部限定で作成したのですが、DMによる販売で、ほぼ売り切れ状態です。
そういうわけで、ネット経由での注文体制も整わず、あまり広くは公開できませんが、とりあえずご報告しておきます。
いろいろと言い訳
1996年から http://www.eastvalley.or.jp/ というサイトで、声明に関するページを作ってきましたが、ページを作るのに手間がかかってしまい、しばらく更新も遠ざかってしまいました。
もっと簡単にページが作れないかなあ、なんて思っていたら、いつの間にか世の中はブログの世の中。ネットから離れていた訳ではないので、ブログの始まり頃から様子見だけはしてましたが、これなら、一からページを作るより楽ですねえ。
これまでよりは、頻繁に更新できるかもしれません。
もっと簡単にページが作れないかなあ、なんて思っていたら、いつの間にか世の中はブログの世の中。ネットから離れていた訳ではないので、ブログの始まり頃から様子見だけはしてましたが、これなら、一からページを作るより楽ですねえ。
これまでよりは、頻繁に更新できるかもしれません。
声明って何。
仏教に伝わる、節をつけたお経のことを声明といいます。
僕は「せいめい」と区別するために、あえて古い文字を使い、
「聲明」と書くことの方が多いです。
読み方は「しょうみょう」です。
ここでは主に、真言宗豊山派に伝わる聲明について扱います。
僕は「せいめい」と区別するために、あえて古い文字を使い、
「聲明」と書くことの方が多いです。
読み方は「しょうみょう」です。
ここでは主に、真言宗豊山派に伝わる聲明について扱います。