私が所属する迦陵頻伽聲明研究会が関わるCDもちらほらあります。発売はもう何年も前なんですが、そういえば紹介したことがなかったなあ、と思いまして。今では amazon.co.jp でも買えるようになったみたいですね。
例えばこれ。
阿吽の音(こえ)
鳥養潮さんによる新作声明です。劇場での公演も何度かありました。レコーディングは
ビクタースタジオでした。朝から晩まで声明を唱えっぱなしだったのを覚えています。
今まで多くの作曲家さんたちが「新作声明」と呼ばれるジャンルの曲を作り、我々はそれを劇場で唱えてきました。おそらくこれからもまた新たに曲は作られていくのでしょう。声明とはいえども雅楽や洋楽の楽器などを伴うものが多く、正直言うと違和感を覚えざるを得ません。
しかし鳥養潮さんの作品は、一線を画すものがあります。まず第一に彼女の作品は声明演唱家(つまりお坊さん)による伝統的な仏教楽器以外は使いません。楽器といっても比較的単純な打楽器だけですから、音律をかもし出すのは僧侶による声のみということになります。しかも彼女は我々の唱える声明というものを音楽的に理解していて、我々の伝統をふまえた上での「新作」を作ってくれます。だから彼女の作品は我々僧侶にも唱えやすい。唱えやすいので、ただ譜面をなぞる以上の心を伴う演唱が可能となる。そんな気がします。
ただ、潮さん、楽器じゃないものを楽器として使ったりします。それが
「下駄」。劇場やスタジオに10メートルほどの板を引き、その上を
「おーーーーーーん」とか
「あーーーーーー」とか叫びながら僧侶に下駄を履かせて走らせる。しかもただ走るんじゃなくて、板をガタンガタンと言わせながら、時には早く時にはゆっくりと走る。それを15名ほどの僧侶が次々と綺麗な法衣をまとって走る、というのだから、
はっきり言ってみっともない格好になる。こんなの、普通ではあり得ない。
しかし、この叫び声はただ単に母音とかではなく、実は「光明真言」なのです。僧侶全員の声をつなげるとそれが「光明真言」になる訳です。
これはいわば声による光明真言曼荼羅。だから私も走りました。この際みっともないとか言ってられません。いかにそこに曼荼羅を出現させるか。それを念頭に置いて走りました。
発売が1999年ですから、そんなことももう既に遠い想い出になりつつありますが、この作品は伝統の声明をしっかりと踏まえた新たな声明と言えるでしょう。また、散華や対揚などの伝統声明もしっかりと収録されていて、しかも違和感がありません。伝統と新作の融合作品ともいえます。